行動と嗅覚
「静かにお留守番できる子」ほど、
退屈しているのかもしれません
吠えない。壊さない。粗相もしない。
その三つが、犬の側から見ても「よい一日」だったとは限りません。
犬は、一日のほとんどを何もしていない
室内で暮らす犬の一日を、時間で分けてみます。
食事は、器から食べれば1〜2分。散歩は30分から1時間。あとは、飼い主が帰ってくるまでの時間です。
その間、犬にできることは多くありません。ドアは開きません。外のにおいも届きません。部屋の中のにおいは、昨日と同じです。
「静かにしていた」のか、「することがなかった」のか。
留守中の映像からは、その区別がつきません。
私たちは「起きた出来事」でしか測っていない
帰宅して部屋が片づいている。苦情も来ていない。だから今日もいい子だった——多くの家庭で、留守番の評価はここで終わります。
ただ、この基準が測っているのは「困ったことが起きなかったか」だけです。その子が何をして過ごしたかは、一度も測っていません。
問題行動がないことと、満たされていることは、同じではありません。
いちばん使いたい感覚が、いちばん使われていない
犬の鼻の奥には、においを嗅ぐためだけに使われる空間があります。
米国ペンシルベニア州立大学の研究チームが2010年に発表した論文によると、犬が吸い込んだ空気のうち、およそ10〜15%が呼吸の流れから分かれて、この専用の空間へ送られます。人の鼻には、この仕組みがありません。
さらに興味深いのは、息を吐くときです。吐く息はこの空間を通り抜けないため、においを含んだ空気がその場に残ります。犬は息を吐いているあいだも、同じにおいを読み続けていることになります。
訓練を受けた犬が、ある物質を1兆分の1〜2という濃度で嗅ぎ分けたという報告もあります。50メートルプールに、砂糖を1粒。おおよそ、そのくらいの薄さです。
※よく見かける「人の1万倍〜10万倍」という数字は、特定の一つの物質を対象にした測定によるもので、すべてのにおいに当てはまるわけではありません。物質によっては人のほうが敏感だという報告もあります。
使う機会がないと、どうなるのか
ここは、慎重に書きます。「嗅がせないと病気になる」といった話ではありません。
ただ、犬に限らず、変化の少ない環境で暮らす動物では、探索や採食といった行動の機会が減ると、退屈やフラストレーションの兆候が出やすくなることが、飼育環境の研究で繰り返し報告されています。
2004年に発表された、犬の飼育環境に関するレビュー論文でも、においによる刺激は環境エンリッチメント(環境の豊かさを補う工夫)の一つとして、はっきり位置づけられています。
逆の方向を示した研究もあります。2019年、応用動物行動学の専門誌に載った研究では、20頭の家庭犬を二つのグループに分け、片方は2週間「においで探す遊び」を、もう片方は「飼い主の横について歩く練習」を行いました。過ごす時間もおやつの回数も同じ。違うのは、鼻を使うかどうかだけです。
2週間後、においで探していたグループだけが、あいまいな状況に積極的に近づくようになっていました。
もう片方は、変わりませんでした。
ただし、参加したのは20頭。1グループ10頭の、小さな研究です。2024年のレビュー論文でも、犬の嗅覚活動に関する研究はまだ数が少ないことが指摘されています。「証明された」と言える段階ではありません。
「毎日散歩している」で足りているか
散歩は必要です。ただ、先ほどの研究で比べられたのは運動量ではなく、鼻を使ったかどうかでした。
速く歩けば、脚は疲れます。けれど、立ち止まってにおいを確かめる時間がなければ、犬がいちばん使いたい感覚は、その30分のあいだも出番がないままです。
美術館に連れて行って、一枚も立ち止まらせずに出口まで歩かせるようなものだ、と考えると分かりやすいかもしれません。
広さではなく、変化の少なさ
「うちは部屋が広いから大丈夫」と考えたくなりますが、飼育環境の研究で問題にされてきたのは、狭さよりも単調さのほうです。空間だけでなく、時間の単調さも含みます。
同じ順番、同じ時間、同じにおいで一日が過ぎていく。広いリビングでも、毎日がまったく同じなら、そこに新しい情報はありません。
反対に、ワンルームでも、今日だけのにおいが床のどこかにあるなら、その部屋は昨日とは違う場所になります。
いちばん大きな仕事が、器の中に畳まれている
もともと、食べものを見つけることは、犬にとって一日の大部分を占める仕事でした。嗅いで、探して、見つけて、確かめる。
器に入れたごはんは、その一連をまるごと省略します。栄養はそのまま残っていますが、そこにあった時間だけがなくなりました。
鼻を使わせる道具は、この数年で一気に増えた
少し前まで、犬用の遊び道具といえば噛むおもちゃかボールくらいでした。ところがこの数年で、「鼻を使わせること」を目的にした商品が一気に増えています。ノーズワークの教室が各地にできたのも、だいたい同じ時期です。
実際に手に入るものを、ざっと並べてみます。
- フードをばらまく
道具はいりません。いちばん手軽で、費用もゼロ。ただ、床に直接まくことになるので、衛生面が気になる家庭は続きにくいところがあります。 - 転がすとフードが出るボール型
体も動くのが利点です。ただ、かたい素材が床を叩くので、集合住宅では時間を選びます。家具の下に入って終わってしまうことも。 - ゴム製の中空タイプ
中にペーストを詰めて凍らせると、かなり時間がかかります。ただ、これは「舐める」道具で、探す行動はあまり起きません。洗うのに少しコツもいります。 - スライド式の知育パズル
頭を使うタイプ。前足で操作する設計が多く、鼻より手の作業になりがちです。覚えのいい子は数十秒で解いてしまいます。 - 布のマット型(スナッフルマット)
布の折り返しのあいだにフードを隠すもの。犬は鼻を使って探し、見つけて、食べます。かたい部分がないので音が出ず、洗えるタイプなら毎日使えます。
どれが一番効くのかを直接比べた研究は、実はまだ多くありません。2022年の小さなパイロット研究(10頭)では、食べ物を使った活動は、ほかの活動にくらべて行動の変化がむしろ小さかった、という報告もあります。
ですから「これさえあれば」という道具は、たぶん存在しません。現実的な選び方は、効果の大きさで選ぶより、毎日続けられるかどうかで選ぶことだと思います。
留守番用として選ぶなら、条件は三つ
ここまでの話は、留守番の9時間をどうするか、でした。その条件で見直すと、必要なものは三つに絞られます。
音が出ないこと。
飼い主が見ていなくても使えること。
汚れるので、洗えること。
この三つを満たすものを探していくと、残るのは布のマット型でした。留守番用としては、いまのところこれがいちばん扱いやすい形だと思います。
使い方も難しくありません。最初は、においの強いおやつを表面に置くところから。慣れてきたら少しずつ深くする。いきなり奥まで隠すと、見つけられずにあきらめてしまう子がいます。この順番だと、ほとんどの子が続けられます。
5分だけ、観察してみてください
ここまで書いたことを、信じていただかなくても構いません。
今日のごはんの一部を隠して、5分だけ見ている。それだけで分かることがあります。
ほとんど反応しないなら、その子は本当に落ち着いた犬です。夢中になって離れないなら、それまで、することがなかっただけかもしれません。
どちらだったとしても、知っておく価値はあると思います。
洗えるタイプ・サイズ2種
参考文献
Craven BA, Paterson EG, Settles GS (2010). The fluid dynamics of canine olfaction. Journal of the Royal Society Interface, 7(47), 933–943.
Walker DB ほか (2006). Naturalistic quantification of canine olfactory sensitivity. Applied Animal Behaviour Science.
Duranton C, Horowitz A (2019). Let me sniff! Nosework induces positive judgment bias in pet dogs. Applied Animal Behaviour Science, 211, 61–66.(対象20頭)
Wells DL (2004). A review of environmental enrichment for kennelled dogs. Applied Animal Behaviour Science, 85, 307–317.
Hunt RL, Whiteside H, Prankel S (2022). Effects of Environmental Enrichment on Dog Behaviour: Pilot Study. Animals, 12(2), 141.(対象10頭)
Fountain J ほか (2024). The Value of Sniffing: A Scoping Review of Scent Activities for Canines. Applied Animal Behaviour Science.
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、診断や治療に代わるものではありません。気になる様子が続く場合は、かかりつけの獣医師にご相談ください。
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